新熊野神社(熊野信仰)

今日は色々と回ったのだが、まずは私の神社「ベース」となる新熊野神社をレポート。既に昨年末から熊野会に入っているので、半分メンバー。ただ、いずれプロフィールにちゃんと書こうと思っているのだが、私は無宗教だ。それぞれの宗教に興味はあっても所属することはない。だからこそ見える世界もあると思っている。

新熊野神社

大きな樟の木が御神木

御神木の樟の木

樟の木が道路から見える。樟の木の周りは通路があるので、一周回ることができる。足元は気をつけた方が良いが流石に怪我をするほどの高さじゃない。道路は見下ろすかたちになる。ちなみに周りにつなが巻かれているのがわかると思うが、11月のつなあげ祭でみんなで運んで設置した。参拝の方々にも手伝ってもらったのだが、私は初の神社ハッピを着てメンバーとしてつなを設置したので趣深い。

ぼかしアプリ大活躍♪ 後ろに八咫烏が描かれている

新熊野神社について

新熊野神社と書いて、「いまくまのじんじゃ」と読む。この近辺の土地は今熊野であり、近くには今熊野観音寺もある。今日はついでに回ってきたので後でレポートするが。色々と政治的・宗教的な問題もあり、更には神仏習合の流れから、両雄が並び立っているというか連立しているというか。ともあれ、新熊野神社はそれなりに歴史がある神社なのだが華やかな他の京都宗教建築物に比べるとひっそりとしている。

能楽の聖地

能の観世流の「観世」とは観阿弥、世阿弥を指している。その2人が時の将軍、足利義満に能を披露したことが「申楽談儀」という世阿弥の著書に書かれている。つまりは、猿楽が広く世に知られる最初の一歩だったということだ。近年、研究が進んで現在はこの「新熊野神社」がその舞台だったという説が有力になっている。これらの情報は宮司から直接聞いた。実は熊野会に入ろうと初めて神社を訪れた際、宮司が「ちょっと事務所に上がってきなよ」と誘ってくれて、2時間近くいろんな話を聞いた。申楽談儀は探したのだが見つからず、南区図書館で借りて該当部分を探し当てた。記載は2箇所あり、注にも上記の説を裏付ける内容が載っていた。

裏の熊野古道

神社の裏側にはちょっとした熊野古道が設置されている。パネル展示のようなものなのだが、熊野といえば山伏、山道に設置されているのはなかなか風流だ。

裏の熊野古道

まあ、小さな神社なのだが、当然大きな神社ならば「敷居」は高い。私自身は面倒なしきたりや序列を苦手にしているので、宮司の気安さから気持ち良くメンバーをやろうと思っている。盛り上げたい気持ちもあるが、あまり盛り上がってもね〜という相反した気持ちで今年一年を楽しんでみる。

地図


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